2018/03/11 わたしの東日本大震災。

 

こんにちは、みなみです。

「東日本大震災」から今日で7年目となりました。

 

 

記憶は時間が持って行ってくれるし、持って行ってしまいます。良くも悪くも。

地元、仙台で被災した自分も然り。

 

 

毎年この日に私が発信している思いは「忘れたい人は忘れていい。」です。

 

たぶんきっと綺麗事だけど。ひとは忘れることで自分を守ってるから。

本当に辛い思いをした方にこそ、片時も忘れず過ごすことが大事なんて言えないし、覚えていたいこと以外忘れてほしいとすら思っている。

 

 

忘れずに残していくのは、忘れたくないと思っているひとだけでいい。

今日この日に国総出であの日を振り返るのは、残したいと思っているひとへの後押しぐらいで捉えればちょうどいい。

 

 

一時も忘れないことが被災地への報いって地元民の自分はちっとも思ったことないし、

 

新天地にいく度「仙台?大変でしょう」って聞かれると

”おかげさまで元の綺麗で豊かな東北に戻ってきてるので”被災地”ってくくりやめて今の東北に赴いてくれません?”って思うし「東北の野菜買ってくれや」って悲しくすらなります。

 

 

大好きなふるさとだからこそ、あの光景を忘れていまをみてほしい。

 

いまもあの時からの経過もそれでも忘れたくないって思ってくれるひとにこそ、被災していまを元気に生きている自分たちは経験を残していきたい。

 

 

 

だから、ここから先は忘れたくないひとへ。一東北人のあの日を残します。

 

読みやすいようには頑張るけど、つらつら時間系列的な文章になってしまったらごめんなさい・・・

 

 

 

 

震災時。

進級を控えた高校1年生の雪降る日。

高校の体育館でバドミントン部の活動中。

 

日常から異常に変わるまでの数分間。

 

 

コート半面を使ったダブルスの練習。シャトルを落としたペアに課せられる筋トレの最中。悔しがり喜び笑う穏やかで真剣な大好きな空気。

 

一番賑やかなチームメイトが「わーーーっ!!!!」と体育館いっぱいに叫ぶ。

「うるせーよ」といつもみたいに笑った私の足元がズンと音を立てる。

 

 

”ああ、揺れであんな声出したのか”と後の笑い話を振り返る余裕もないままに、無慈悲に波打つコートに膝を落として辺りを見渡す。

 

照明が消え、閉ざされたカーテンから漏れる薄い光を頼りに、同時に動いたのはひとりの先輩と自分。

 

腰を落とした仲間たちに手を添わせ、顧問の先生の誘導に落下物のないベンチ前へと連れやり肩を抱く。

 

 

「大丈夫。大丈夫だから。」

 

掛けている言葉は同じはずなのに、先輩の発する一言一言の強さと安心感は私のものとは比べ物にならなかった。

 

あの時の私は、ただただ怖さを主としたいろんな感情と思考が停止していた。

だから少しだけ、落ち着いたように見える行動ができたに過ぎなかった。

 

”私でごめん”

 

両隣で震える仲間たちの背中をさする私に、「みなみ、本当にありがとう。みなみはすごいや。」いち早く地震を知らせてくれた彼女が泣きながら言葉にしてくれた。

 

 

「うちの家築10年経ってるからダメかもしんない」

右側で膝を抱えたもう一人の仲間に

「おーーい、うち40年経っちゃってるからやめてぇ」って笑い飛ばしてあげられるくらい、あの時の彼女の言葉が、私を いつも通り にしてくれた。

 

 

 

 

5階部分にあたるアリーナはあの高台の校舎で最も揺れたようで。

 

けたたましい音を立てながら割れ落ちた照明の横を揺れの間隔を縫って非常口へと逃げた先、私たち女子バドミントン部は全生徒の中ビリで校庭へと辿り着いた。

 

非常階段の踊り場、灰色の空のした痛く吹雪く雪の中で体育座りをする生徒の列を見下ろした瞬間の絶望に似た感情は生まれて初めてのものだった。

 

各部の点呼、安否及び怪我の確認の後、帰宅体制の整ったものから都度下校する旨を指導主事の先生の枯れた声で告げられ、体育館1階へと全員で移動した。

 

 

 

石油ストーブがゴウゴウと焚かれたバスケ部用アリーナの隅っこ。

 

ひんやりとした壁に背を預け、ばたばたと連絡に走り回る先生たちの影をぼんやりと眺めながら、やっと涙が出た。

 

先生たちが作ってくれた守ってもらえている空間に甘えるように、静かにぽろぽろひとりで泣いた。

 

 

少しずつ帰宅者が増える中、顧問の先生に帰路をどうするかと聞かれ、歩いて帰ると即に答えた。

 

 

 

 

帰宅方向が同じ男女4人。風の収まった白い視界の中をひたすら歩いた。

 

それぞれがそれぞれに元気づけようと交えていた沢山の会話は、ぐちゃぐちゃに崩れ落ちた建物や原型を留めないアスファルトを見るたびに減っていった。

 

地盤の強弱がはっきりと目に見えて現れていたように思う。

角を曲がるたび、全く違う揺れの影響が広がっていた。

 

 

きっと現実逃避にも近いゆっくりとした足取りだった。2時間以上歩いて、家が見える曲がり角まで来た。

 

いつも降りたバス停からダッシュで帰ってくる、クリーニング屋の独特な匂いがする曲がり角。曲がったらどうなっているんだろうと、怖くて怖くて怖くて仕方がなかった。

 

「なにがあってもうちの家族は大丈夫」心配性の自分に言い聞かせているいつもの言葉が、この日だけは自信を失っていた。

 

角を曲がる。二軒目に少しくすんだ白い壁の、昔床屋をやっていたちょっと変な形の家。

 

 

 

立ってる。真っ先に浮かんだ精いっぱいの感想。

 

 

 

遠回りをして送り届けてくれた男子の友人に見送られ、玄関へ。

 

日も落ち暗くなった、見慣れたはずの見慣れない家にかけあがり、いつもそこに立っているおばあちゃんの背中を求めて台所への扉を開く。

 

「あらぁ、良く帰ってこれたね。おかえりー」

 

 

凛とまっすぐ背の高い大好きな大好きなおばあちゃんの笑顔に、ぼろぼろに泣きながら抱き着いた。

 

大きくなってからおばあちゃんの前で泣かないようにしていたのも全部チャラになるぐらい泣きじゃくった私を抱きしめた後、

 

「もうっばぁ急いで水とガス止まる前に風呂にお湯貯めて、石油ストーブ出して、カレーも明るいうちに作っちゃったぁ」

 

とカレー鍋の蓋をあけてみせたおばあちゃんの強さには脱帽しかなかった。

 

 

もうひとり。母の寝室で寝ているはずのミニウサギのうり太のもとへ駆け寄る。

 

途中、居間の棚から散乱したベガルタ仙台のミニカーを裸足で踏み痛みに悶えながら、ケージの端で縮こまるうり太を抱きかかえる。

 

揺れたストレスより抱っこのストレスの方が強そうなのですぐにリリース。

 

 

 

 

電気、ガス、水道すべてが止まった真っ暗な夜。

 

仕事先から相変わらず元気な祖父が「びっくりしたなぁ!」とさらっと帰宅し、

 

意外とか弱くない姉が大量に持ってきてくれたアロマキャンドルによって不意に部屋は幻想的なムードへ。

 

洗わずに済むよう食器皿にラップを張っているところへ、これまた「びっくりしたなぁ!」と似たもの父がさらっと食卓に着席。

 

発生時野外プールの貯水タンクにつかまっていた為ひとりびっしょびしょに濡れまくった実は一番修羅場を潜り抜けてきた母が豪快に帰宅し、

いつもはなかなか揃えない6人の食卓が、皮肉にもこの日、家族全員を無事に帰してもらえた場となった。

 

この日のしまい損ねたクリスマスキャンドルによってまた違った雰囲気になっていた台所の光景を、今でも鮮明に覚えている。

 

 

 

この日。一切の明かりが消えた道路のど真ん中から見上げた夜空には、恨めしいぐらい満天の星が見えた。

 

 

 

20時頃には全員が布団に入る。1階は床抜けが怖いからと、2階の私の部屋で母と一緒に眠る。

 

不定期な余震に何度も怯えるように起きる。

少しでも大きなものがくれば、教師の両親は職場へ駆けつけなければならない。

 

 

「お願い。大切な家族を、ここにいさせて。

このお祈りは、イエス様のお名前を通してお捧げ致します。アーメン。」

 

 

幼稚園から教わってきたお祈りを、何度も、何度も何度も口ずさむ 震災後の日常がはじまった。

 

 

 

読んでくださってありがとうございます。

 

7年前の3月11日。私の生きた時間の様子です。

 

家族が出てきてから急にゆるっとなったのは、それだけ、私の家族が底抜けに明るいひとたちで、それに心から救われたからかな。自然にそういう文面になっていました。

 

 

いま、あの時のことをバドミントン部の仲間たちと話すとき、家族と話すとき、私たちは笑いながら話せます。

 

 

人より傷が浅かったからとは思ってない。あの時の怖さや喪失感は、たしかに、鮮明に忘れられない。

 

だからこそ、いつも思い出してたら今を生きられないから。

 

私は今日みんなが思い出してくれるこの日に、怖い思いも全部全部思い出してまた忘れて。必要としてくれるひとが居たときにまた思い出してお話しして。

 

そうやって忘れたくないひとで在りたいと思う。

 

 

誰かに届けることができる場所にいる私が、自分で好きに背負う責任だと思う。

 

 

今日は心をえぐる日じゃないんだよ。

忘れたくない人が、忘れないようにする日。

 

 

東日本大震災7年目。地元を愛する一東北人のひとつの想いの馳せ場所でした。

 

 

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